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Dairy of members ー prontoメンバーが月に2回日記を書きます ー

10/22 【長い夏休みを終えて】

 

 ご無沙汰しております、国内事業部長の齊藤です。長い夏休みを終えて、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は夏休みの怠けた生活リズムを戻すことに奮闘しています。このように聞くと、怠けていたように思われそうな夏休みですが、私を含めprontoの一部メンバーはカンボジア渡航に行ってきました。今回の日記ではその渡航を終えて、私自身が感じたことをお話させて頂こうと思います。

 

 今回の渡航は、私にとってprontoとしての初めてのカンボジア渡航であり、新しい発見や学びの多い渡航でした。第一に、カンボジアに到着してすぐに訪れたすぐに訪れたターポック村では、電気や水道など私たちが日常で当たり前のように使っているものはありませんでした。その中で村の人々と、朝は鶏の声で目覚め、夜は日が落ちたら寝るという生活をおくりました。渡航前は日本での生活に慣れている自分が村で生活できるのか不安でしたが、実際に生活してみると、日本での慌ただしい生活とは違う、ゆったりとした「スローライフ」をおくることができました。そうはいったものの、すぐに村の生活に対応出来た訳ではありません。最初は井戸の水が冷たくて水浴びをするときに寒かったことや、自然の中で育ってきた子供たちは日本の子供に比べやんちゃだったことなど戸惑うことも多かったですが、それも慣れてしまえば全く苦ではありませんでした。むしろ、自らが村で生まれ育っていたならば、この環境は非常に心地よいものであったと思います。そして、自らが教育を受ける意味を見いだせなかったのではないかと感じました。

 

 私自身が感じたように、このような心地よい村の生活の中で「教育を受けて、今の生活を変化させる」必要性があるのだろうかと疑問に思う方がいらっしゃると思います。私自身も同じような疑問をこの渡航中に感じました。村での生活は決して豊かとは言えません。しかし日々の生活が危ういほど困窮しているわけでもありません。私たちprontoは教育支援という活動を行っていますが、それは私たちが文明に彩られた生活をしているから、その先進国の価値観を彼らにも押し付けようとしているのではないかと感じました。

 

 しかし、このような疑問を感じつつも、私は村の生活を通してやはり教育は重要であるという考えに至りました。なぜなら教育とは時に剣となり盾ともなると考えるからです。グローバル化している世界では自由貿易も普及し、農業を生活の糧としている村での生活を守っていける保証はありません。自分たちの生活を守るためにも教育は必要であると言えるでしょう。

 

 prontoでの活動を通して私は、彼らが自分たちで生活を守っていくためのサポートができたらいいなと考えています。今回の渡航を経て、多くのことを得ることができましたが、自分やprontoに足りない部分も多く見えてきました。例えば、以前の日記で私が紹介した「参加型開発」においても知識はあるものの、実際に行うことが難しかったことから、実践に対する用意が不十分だったことなどが挙げられます。この経験を生かして、メンバー一同精進していきたいと思います。

 

 長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。これからも国際協力学生団体prontoをよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

2014/ 10/22 Yuka Saito

8/23 【学びからの実践】

 

 

 皆様お久しぶりです。代表の金久保です。4月から弊団体には新しい仲間が数名加わりました。その新しい仲間が、このprontoに入った理由やこれから何をやりたいか、大学で何を学びたいかについて日記を書いてくれました。彼らがこの先の大学生活でどのように変化し、成長して行ってくれるのかが楽しみでなりません。僕もまだまだ未熟なので彼らと一緒に学んで行きたいと思います。

 

 

 さて、久しぶりに日記の執筆をする訳ですが、今回は開発者の視点からみた途上国農村地における教育の重要性と、被開発者の教育についての考え方に触れた上で、今後活動の中で重要となってくるであろうポイントについて考えていこうと思います。

 

 

 

『開発者の視点』

 まずは、開発を行う者(行おうとしている者)の視点(かなりぼくの主観的なものになってしまいますが笑)について教育の重要性について触れながら考えていきたいとおもいます。

 

 2013年10月10日の日記で、僕は途上国の農民を大きく「今の生活を守りたい人(今の生活に満足している人)」と「経済的に豊かに成りたい人」の2種類に分類しました。そして、今回はその2種類の人どちらにも、その目的を達成する為には教育が必要であるという意見を付け加えます。途上国の農民を2種類に厳密に分けることは不可能ですし、色々と突っ込みどころはあると思いますが、お話を進めるにあたって再度このフレームワークをつかいたいと思います。今回のお話では「今の生活を守りたい人」がいたとして、その人達にフォーカスします。

 

 「今の生活を守りたい」ということは、「何十年後も今の生活を続けていたい」と言い換えることができると思います。何十年も先の彼らの生活を語る上で、切っても切り離せないのがその国の政府の政策です。途上国の政府は往々にして、自国を発展させる為の政策を考えます。では、途上国政府はどのように自国を発展させて行きたいと考えるのでしょうか。当然のことながら、工業化です。しかし、途上国のほとんどが、自国の主要産業は農業です。

 ここで状況を整理したいと思います。途上国の政府は工業化により国を発展させたい。しかし、国民のほとんどが農民であり、農業を営んで生活をしている。この状況に対して、政府はなるべく人口の中の農民の比率を減らし、工業人口の比率を増やしたい訳です。そのために途上国政府がとろうとする行動は、

 

①自国で作った作物を以前と同じ値段で売れなくする(作物を安い値段でしか売れなくする)。

②農民一人あたりで生産できる量を増やし、作物の需要量に対して同等の供給量を以前より少ない農民でまかなえる様にする。

 

 

以上の2つが考えられます。①では途上国政府がとる行動は先進国から自国より安価な作物を輸入したり、政府による廉価な買い入れ(搾取)をしたりすることが考えられるでしょう。②に対しては農業技術の向上を計ったり、資本集約的に農業をおこなうことでその目的を達成しようとします。

 

 つまり、途上国政府は自国の農民を工業民に変える為に「農民を減らす政策」をとろうとする訳です。

 

 

 今の生活を守りたい(今の生活に満足している)人はこの途上国の政策に対して、農民としての生活を守るという意味で立ち向かって行かなければなりません。どのように立ち向かって行くか。それは農民自身が決めることですが、その立ち向かって行く過程に「教育」という要素は欠かせません。

 

 僕はこの途上国政府の政策について勉強した時、改めて「途上国農村地における教育の重要性」を感じました。時代は変化して行きます。その変化に対応するという意味合いで、「今の生活を守りたい人」にも、「経済的に豊かに成りたい人」にも、教育は重要であるのではないでしょうか。

 

 

 

『被開発者の視点』

 では、被開発者(現地住民)は教育についてどのような視点をもっているのでしょうか。彼らが教育を受けることについてどのような考えを持っているかは簡単には分かりません。彼らの考えも理解せず、上記のことをただ一方的にお話ししても、それは無意味でしょう。彼らが本質的に教育が必要であると感じないのであれば、仮に私たちとお話ししている時に彼らが「教育は重要だよね!」と言っていても、実際の行動には現れてきません。

 

 

 

後活動の中で重要となってくるであろうポイント

 開発に携わるアクターごとに考えていること、思い、関心ごとは違います。そのことを考慮に入れ、両者の思い、認識等をすりあわせながら如何にして自主的に「(親に)教育を受けさせたい」「教育を受けたい」と思ってもらうか。それが、教育支援を行う団体が1番考えるべきことなのではないでしょうか。

 

 現地住民のことを理解する方法や自主性を引き出す為の工夫は研究されています。参加型開発の第一人者ロバートチェンバースが世界に広めたPRA、PLAや今日本で注目されているメタフファシリテーションなどはその代表例と言えるでしょう。自主性を引き出す為に、今までどのようなことが考えられて来たかを学ぶことは可能です。しかしその学んだことをもとに、私たち大学生の環境に置き換えて考え、実践してくことはものすごく難しいです。過去の開発手法を勉強することは大前提としてあり、その学んだことをどう実践に移して行くのかが今後活動における重要なポイントとなってくるのではないでしょうか。

 

 

2014/ 8/23 Tomoya Kanakubo

7/13 【私を変えた一人の少年】

 

はじめまして、こんにちは。

国内事業部の松岡美月です。今回は、私が国際協力や、子供の教育、労働問題に関心を持ったきっかけについてお話ししたいと思います。

 

 私は現在大学一年生ですが、きっかけは高校二年生の時、 ほぼすべての活動を子供だけで行っている「フリー. ザ.チルドレン」という、ボランティア団体と設立者が記した本に出会ったことでした。その時、とても衝撃を受けたのを覚えています。なぜなら、設立者はカナダ人の12歳の少年なのですが、そのような自分と歳の近い子供たちの 「現状を放置できない」という気持ちが原動力になった活動と、世界の現状を初めて知ったからです。もしここまで深く印象に残らなかったら、おそらく国際協力や貧困問題に興味を持たなかったと思います。

 

 

 それまで、貧困や教育の問題の存在に気づいていたものの、真剣に向き合ったことはありませんでした。それについて考え始めた時、はじめて自分は世界でひと握りの恵まれた側の人間だと痛感しました。当時の自分は毎日食べ物にも困らず、何かに怯えることなく学校に行き、勉強、部活をして、休日は友達と遊んで...自分の「当たり前」が歳の近い世界中の多くの子どもたちの「当たり前」とはかけ離れていたからです。特に、性産業に関わっている女の子の文章は読むに耐えられませんでした。

 

 

 それから数年後、私はそのような分野に興味を持っていたのもあり、国際政治学科に進学しました。授業でもprontoでも、国際協力とは何か?貧困問題、教育問題の根本的な原因、解決策とは何か?ということを毎日のように考えるまでになりました。ここ数ヶ月で、今まで自分がボランティアや国際協力についてどれだけ無知で、持っている知識も間違ったものが多いのかを痛感しています。

 

 

 突然ですが、みなさんは国際協力とはどういうものだと考えますか?

人それぞれだと思いますが、今現在私は「困っている相手がいるから手を差し伸べるべきだ」という考えのもと、国際協力を行っています。

 

 

 普通に人助けするように単純ではなく、「普遍的な答え」も存在しない国際協力。だからこそよりよい国際協力を行うために、知識をつけ、考えて、考え抜いて、自ら行動し続けることが、私の大学生活通じての課題です。

 

 

 これから、どのように自分の考えが変化していくのか...数年前の自分からしたら全く想像つかなかったものに関心を持ち、動こうとしてると思うと、少しわくわくします。考えることははじまったばかりなのです。

 

 

 何が自分に影響を与えているのか、気づかないことは多々あります。この日記を読んでくださった方にもそのような気づきが増えたら幸いです。長くなってしまいましたが、ここまで読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

2014/ 7/14 Miduki Matsuoka

6/26【私のきっかけ】

 

こんにちは。そして、初めまして。海外事業部部長の佐藤圭太です。

 

今回は私個人がなぜ国際協力に興味をもち、開発という分野に携わりたいと思ったのかについて話したいと思います。

 

 

国際協力に興味を持った理由は人それぞれであると思いますが私の場合は2011年3月11日に起きた東日本大震災です。

私は当時仙台市内に住んでおり、被災しました。

私の家は幸いなことに内陸にあり津波による被害はありませんでしたが、電気やガス、水道などライフラインは完全に遮断された状態にあり、

生まれて初めて当たり前のようにあったものがないという状況を経験しました。

 

 

 

私にとって当たり前にあったものがないという状況が衝撃的なものでした。蛇口を捻っても水はでないしお風呂にも入れません。

夜になっても電気はつかず家の中だけでなく外も真っ暗な状態です。携帯の充電もできないので、すぐに使えなくなります。

このような状況がこの恵まれた日本で考えられるでしょうか。少なくとも私は戸惑ったことを覚えています。

 

 

 

当時、私たち被災者は多くの国や人々の支援を受けました。たとえば、ご飯であったり布団であったり様々なものです。

あの時東北にとって国境、人種、宗教、年齢など関係ないものでした。私自身が直接支援を受けたわけではありませんが、

多くの国や人々の支援があったという事実が私にとって感動的なもので、これほど人の想いが1つなれるものなのかと思いました。

 

 

 

この時初めて私は国際協力、支援というものに興味を持ったのです。私にも何かできることはないか。私と同じか近い状況にある人が日本に、世界にいるのではないかと考えたのです。

案の定そのような状況にある人々が世界中にいるのはわかりきったことです。

では、苦しんでいる、困っている人がいるのを知ったとき世界中の人々が私達被災者にどんな支援をしてくれたか。

彼らは想いを1つにして東北に支援を行いました。私にだって同じことができるはずです。

今まで他人事のように感じていた世界中の問題に対して自分のなりに行動を起こしたいと感じました。

 

 

 

 

明確に私に何ができるのか。今はまだわかりません。将来的に開発の道に進むかもわかりません。

しかし、この大学での四年間やprontoでの活動を通して、自分にできること、やりたいことを考え、

今私にできることをがむしゃらに行うことで人として成長し、私自身が感じたきっかけを誰かに与えられるように頑張りたいと思います。

 

 

 

地震はたしかに多くの人にとって悲劇的な出来事でした。

しかし、私にとってあれは大きな転換期で、少なくとも私自身の人生を揺さぶる影響を与えました。

地震から3年。東京でprontoと出会い私は自身にとって大きなチャンスを得ています。

この日記を読んでくれた人も人生にとって大きな転換をするチャンスがあったとき見逃さずチャンスを手に入れられるように頑張ってほしいと思います。

 

 

 2014/ 6/26 Keta Sato

6/13 【僕の教育への思い】

 

 

 

こんにちは。海外事業部の菅優太です。

 

 

 今回はProntoのビジョン「すべての子どもが教育を受けられる世界」についてお話させていただきます。世界には教育が受けられない子どもがたくさんいます。それには様々な理由があります。例えば、家の仕事の手伝いで行けない。戦争が起きているから。学校がないからなど理由は様々です。今では、NGOや様々なボランティア団体による支援が広がっていて、学校などに行ける子が増えたのは事実ですが、それでもまだ教育を受けられない子がたくさんいるのも事実です。

 

 

 

 教育について少し考えてみましょう。もし教育を受けることができなかったらどのようなことが起きるでしょうか。例えば、識字率の低下です。識字率の低下で起こる問題は、薬を飲もうとした時、使用方法が読めないので使用量を間違え危険を伴う可能性が高まるということです。

 

 

 

 次は逆に教育を受けたらどんなことが起こるか考えてみましょう。将来就く職業の選択肢が広がる、今の自分たちの生活を守ることができる、知識を得ることで豊かな人生を送ることができるなどたくさんあります。

 

 

 

 このように教育を受けることによって世界が広がります。新しいことに挑戦することができるようになります。あるいは、自分たちの生活を守ることもできます。私たちprontoは、この可能性を広げるために「すべての子どもたちが教育を受けられる世界」というビジョンを掲げています。

 

 

 

 私たちが支援を行っているカンボジアには学校といった教育を受ける場所が多数あります。そのためカンボジアの就学率は非常に高く、一見教育が進んでいるように思えるかもしれませんが実際ところそうではありません。なぜなら、小学3、4年生にあがった生徒たちの体は大きくなり少なからず家の手伝いや農業を手伝う力がつきます。そして、親の仕事を手伝うために学校をやめていく子がたくさんいます。このように教育を受けることが可能な環境にいながら自らその機会捨ててしまう子や捨てなければならない状況にいる子がいるのでカンボジアの退学率はとても高いです。私は、この現状に胸が痛みます。たしかに、教育を受けることが全てではありません。農業をして暮らすのも一つの道です。しかし、学校に来て友達とふれあい、勉強し、先生に叱られ、というように学校でしかできない経験を子どもたちにしてもらいたいです。そうすることによって、新しい事を発見するかもしれない。自分の知識に固執するのではなく。広く世界を見る目を少しでも持ってほしいとの思いで私は教育の重要性をうったえています。

 

 

 

 最後に、教育をうけることによって見える世界はかわります。私は子どもたちにその体験をしてもらいたいです。例えば、字が読めるようになって「あの看板にはあんなことが書いてある。」とかこういったちょっとした体験をしてもらいたいです。そういった体験が積み重なりいつかは自分がやりたい事を明確化し目的をもって生活して欲しいです。教育を受けることによってその可能性を広げることができると思っています。だから、私たちprontoは「子どもたちに教育を受けられる世界」というビジョンを念頭にして活動しています。

 

 

 

これで第五回目の日記おわります。

 

 

2014/ 06/13 Yuta Suga

6/5 【私はなぜここにいるのか】

 

 

こんにちは。それから初めまして。海外事業部の嶋田真奈です。

 

4回目までの日記では、「教育」の重要性、我々の活動理念、「参加型開発」、「国際協力」など、我々の根本である考え方について触れてきました。(詳しくは前回までの日記をご覧ください)

そろそろprontoの存在意義についてご理解いただけた頃かと思いますので、今回は趣旨を変えて、少し私の話をしたいと思います。個人的な話ですので、様々なご意見があると思いますが、まず最後までご一読いただければ幸いです。

 

 

 

突然ですが皆さん、今までの自分を振り返ってみてください。自分が生まれた場所。過ごした時間。好きだったあの子、なんてのもいいですね。そのどれもが、今の自分に繋がっていると思いませんか?

 

 

 

 

私はたったの18年しか生きていませんが、私という人間を語るとき、周りの存在は不可欠ですし、また、私がこれまで過ごしてきた/今過ごしている/これから過ごす環境は、私を形成する一部です。環境といっても、これは自然環境に限った話ではありません。自分という人間もまた、環境の一部であり、社会や家族、周りのもの全てが一人の人間を形作ります。

 

 

例えば私は、いわゆる外資系企業に勤めている父の下、ぬくぬくと生まれ育って来ました。マレーシア→日本→香港、と国を転々としながらも、何一つ不自由なく日本語を身につけ、英語まで身につけられたのは、経済的に余裕のある家庭に生まれたからだと思っています。もちろん、小さい頃はそんな事微塵も思っていませんでした。本やおもちゃを沢山買い与えられ、フカフカのベッドで寝て、学校へ行き、友達と遊んで、帰れば夕飯が待っている。これが大変な幸運だということに気づいたのは、中学3年の始め、人生で初めて家族に虐待されてきた友人に出会った時です。

 

 

 家族に自らを否定される、という経験。私は未だ想像することができません。彼女は終始学校が好きだと言っていましたが、それは家に帰りたくないがためだったのだと今では思います。彼女には家に帰る、という選択肢がなかったわけです。自分に出来たことは、ただ話を聞いて、励ますことだけでした。色々な紆余曲折を経て、後に彼女は家を離れ、バスケ部のコーチと暮らす事になります。果たしてそれが彼女の幸せだったのかはわかりません。しかし、私はその時初めて、自分の無力さというものを実感させられました。

 

 

 

 

 

 それからというもの、私はつとめて自分ができることはなるだけやってみよう、と考え行動しています。自分が無力であったことを実感したと同時に、周りに動かされてばかりではいつまでも無力のままだと気づいたからです。今までずっと受動的であった自分の人生でしたが、主体的に動き始めると、世界は見違えるように変わりました。高校時代からそうして色々なことをした結果、少しずつ自分の出来ることが増え、自信に繋がり、また、それによって自分の存在意義というものを固めていくことができました。その内の一つが、「prontoで活動する」というものです。

 

 

 

私は「主体的に動く」ということで、自分のやりたい事を見つけることができました。

この日記を書いたことで、誰かが少しでも動くきっかけになれば嬉しいです。

 

 

 

 

それでは、長くなりましたが、ここで結びとさせていただきます。

最後までご一読いただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

2014/ 06/ 05   Mana Shimada

5/31  【国際協力とは?】

 

 

 

 こんにちは。国内事業部の小野早穂です。

 

 

 

今回、4番目の日記ということで、わたしの国際協力についての考えを書きたいと思います。

 私は、元々、国際協力ということに興味がなく、周りにも国際協力に興味がある人が少なかったため、そのような考えにも触れたことがありませんでした。

 

 

そのため、世界に教育を満足に受けられない子どもたちがいることは知っていても、かわいそうだとしか思っていませんでした。しかし、prontoで勉強していくうちに、彼らはかわいそうなのではなく、彼らには彼らの人生があり、「かわいそうな人生を送っているわけではない」ということに気付きました。彼らはわたしたちと同じように楽しく幸せに過ごしているのです。

 

 

 そこで、浮かんでくる疑問は、「彼らが今の生活に満足しているのなら、わたしたちが何かを与える必要があるのか?」ということです。

しかし、この疑問すら、根本的に考え方として間違っていました。「彼らになにかを与える」のではなく、「彼らに必要だと思ってもらう」ことこそが、わたしたちがやりたいことなのです。

 

 

 

 

世界的に認められている、”Education for All;万人のための教育”にある通り、「教育を受ける権利」というのは、人々すべてに与えられており、その義務は果たされるべきです。

教育を受けるということは、人間の可能性を広げ、より好奇心に満ちた生活を送ることを可能にし、ひいては国の可能性をも広げる第一歩です。

 

 

 では、いま彼らが満足している生活において、どのように教育の重要性をわかってもらえばいいのでしょうか。

 

たとえば、AさんがBさんに、

 

 

 

「やっぱり女の子は料理が出来なくちゃね。この料理の本、すごく良いよ。プレゼントするから、読んで見て。」

 

 

 

と言ったとします。しかし、Bさんは、毎日お母さんがごはんを作ってくれるし、料理を自分で作りたいと思ったことがありません。こんな場合、BさんはAさんの本を手に取らないでしょう。

 

このように、ある物事の必要性を一方的に押し付けられ、その準備までも一方的に与えられたとしても、当の本人が必要性を感じなければ、それは意味のないことなのです。

 

 

同じように、教育の重要性をわたしたちが一方的に押し付けたところで、現地の人が本当に重要であることを実感してくれない以上、現状は変わらないでしょう。

 

 

 

 

 そこで、わたしたち大学生に何ができるのできるのかを考えたいと思います。

ここから先が一番重要なのですが、まだ答えが出ていません。

実際に現地に赴いたことのないわたしは、勉強していくうちに、どんどん、カンボジアに行って人々と触れ合って見たいという思いが強くなっています。

 

カンボジアに行ったら答えがでるかもしれない、もしかしたら、でないかもしれない。

そのどちらかもまだ分からない状態ですが、わたしはいま、もっと知りたいという思いでいっぱいです。

 

カンボジアの人が何を見て、何を考えて、何を思っているのか。このようなことを胸に、これからもprontoのメンバーと日々邁進していきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

2014/ 05/ 31  Saho Ono

 5/ 21 【参加型開発とは?】

 

 

初めまして、国内事業部の齊藤優香です。

 

 

だいぶ久しぶりの日記になってしまったのですが、今回は私がProntoが支援するにあたって意識している「参加型開発」についてお話させて頂きます。まだまだ未熟であるため、稚拙な文章ではありますが、大目に見て頂けると幸いです。

 

 

 第一に私たちが参加型開発を意識している理由の一つとして、Prontoが「カンボジアの子どもたちの環境」に最も着目している点が挙げられます。

 

 

 

子供たちの現在の環境を考え、より良い方向性に持っていく事は「対象に働きかけて発展、向上させたり、人間の役に立つ形に変えたりする事」である開発に非常に近いのです。

しかし、その「開発」にも様々な種類があります。種類によっては私たちが目指す「開発」ではないものも多くあります。その中で私たちが理想とする「参加型開発」を以下で軽く説明させて頂きたいと思います。

 

 

 

 参加型開発とは様々な解釈が存在し、それは時代によって変化していますが、現在は一般的に現地住民の「自主性」「主体性」を意識した開発という位置づけで安定しています。

 

 

Prontoが物資や資金を援助する「慈善型開発」ではなく、実際に自分たちが支援者と共に考え、進歩していく「参加型開発」を行っている理由は、「慈善型開発」では支援される側が支援に依存してしまい、自立を阻む恐れがあることなどが挙げられます。

 

 

 

確かに、発展して行く上では物資や資金なども必要不可欠ではありますが、継続して行く発展のためにはそれ以上に支援される側が自立し、支援者無しでも発展していける状態に持っていくことが重要となってくるのではないでしょうか。

 

 

 

そのため、Prontoでは現地の住民と同じ立場に立ち、同じ目標を持つ仲間として共に活動する「参加型開発」を意識しているのです。

 

 

 

 

 参加型開発にも様々な問題はありますし、支援の形に正解や不正解はありません。しかし、私たちのVisionを達成するためには現状では「参加型開発」が最も適していると考えています。

「実際に現地に行き、現地の人々と共に考えたい。」

 

このように考えている方がいらっしゃれば、是非Prontoで一緒に活動しませんか?少しでも興味を持った方がいらっしゃれば、ご連絡お待ちしております。

 

 

長くなってしまい、申し訳ありません。読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

2014/ 05/ 21 Yuka Saito

11/12  【学生とは何者?僕らの活動とは?】

 

 

皆様初めまして、国内事業部長の佐藤健太郎です。

 

今回、生意気にも私の意見をまだ20年も生きてないが故の乏しい知識と言葉で綴らせていただきます。話が逸れる、読みづらい所箇所が多々あるとは思いますが、ご容赦願います

 

 

私はカンボジアにも行っていなければ国際問題について意識を持ち始めて日も浅いです。
しかも、元来「学生団体」や「国際協力」といった単語を毛嫌いしていた人間でした。

 

「学生にしか出来ない事ってなんだよ」

「外国の事よりまずは日本国内をどうにかしろよ」

 

とすら思っていました。しかし、「代表の金久保が作ったprontoは他の国際協力団体とは違うぞ、自分の考え方にも同じ所も多い、ここは一つ固定概念と偏見を捨て去って新しい事に首を突っ込んでみるのも勉強になるかな」と思いこの度活動に参加することに致しました。

 

 

私の思っていることとprontoがどんな団体なのかを綴って行こうと思います。
 

 

 

① 学生とは何者?

 

「学生」とは読んで字のごとく「学び生きる」ものです。辞書には学生は大学生以上、生徒は高校生以下の者を言うと書いてあります。つまり学生である皆さんは大学に進学すると決めた時、自らの意思で在学期間中に学んで生きることを選んだ、と言ってよいと思います。少し前に「学生にしかできない事とはなんだ」と書きましたが答えは簡単です。勉強をすることです。大学に進む、と言うのは簡単なことではありません。受験勉強も自分一人の力ではなく親御様等に塾に通わせてもらう、教材費や受験料を出してもらい、更には大学に入学、学費を払ってもらう方が大半です。学生は皆、社会人になる前の4年間を勉強する最後の機会としてお金で買ってもらっているのです。勿論本を読むだけが勉強ではなくスポーツも仲間と遊ぶことも勉強ですが、何を学ぶにしても学んだ量が多い人が学生の勝者だと言えるでしょう。


私の通う慶応義塾を作り上げた方は仰いました「金持ちになりたければ勉強をしろ」と。この言葉は「皆もっと勉強するべきだ。金を稼ぐのも勿論だが、自分の国を守り豊かにするためには皆が勉強する必要がある」と思った福沢諭吉さんが皆に勉強意欲を持たせるため敢えてこう書いたのだと勝手に解釈しています。


いかに勉強というものが大切かわかって頂けたでしょうか。そしていかに勉強できるという環境が恵まれているかも分って頂けているでしょうか。


更に、皆さんおなじみの老子の言葉ですが

 

「魚を与えるのではなく、釣り方を教えよ」

 

と有ります。これは国際協力、ボランティアにしても同じです。与える事や助ける事は素晴らしい事ですが、相手が助けを必要とし無くなるまで援助できなければ見捨てた事になり、助けなかったことと同じです。


だから、私たちは釣り方、つまり教育こそ最も大切な物だと考えている訳です。例えば日本が国を挙げてカンボジアを開発し、豊かに出来たとしても、それはカンボジアではありません。カンボジア人が自分たちの手で築き、守るからこそカンボジアなのです。

 

 

 

② 僕らの活動とは?


そこで、我々prontoの活動は、と言うと実は魚を与えるのでもなければ釣り方を教えるわけでもありません。我々は彼らに「釣り」そのものを知ってもらうためにはどうすればいいか、という事について日々議論し、勉強しています。

 

釣りをすれば魚を得られるという事を知らなければ釣り方を教えても仕方がありません。教えられた方も迷惑でしょう。実は教育が受けられない子供が多い、と言いますが実際は彼らが教育による恩恵や必要性を理解してない為に教育を受けようとしない、というのが大きな要因となっています。「別に勉強する必要が無いって本人が思ってるんだから無理に勉強させなくても良いじゃん」と思った方もいるでしょう。

 

勿論無理に勉強をさせる気は毛頭ありません。しかし、彼らが必要とすべき 教育は彼ら自身が必要性に気付き求めるべきだと思っています。例えばカンボジアを今治めている知識人たちが全員亡くなり、次の世代の時代が来たとしましょう。誰も教育を受けていなければ誰が国を率い、治めるのか。国が崩壊してしまいますね。今世界で核兵器を所持してはいけない、となっているのは人類が核兵器によって悲惨な思いをして学んだからこそ。人は同じ過ちを繰り返さないために過去から、書から学ぶのです。

このままだと文章に収まりが付かなくなるので纏めさせていただきたいと思います。

 

我々prontoは世界中、まずはカンボジアの教育を受けられない子供たちが受けられるようにするためにはどうすればいいか、という事について考え、答えを見つけ出そうと活動しています。
そのために彼らが必要としているものが何なのかを知らなければいけません。カンボジアの事はカンボジア人が一番良くわかっている、という事でprontoにはカンボジア人のメンバーもいます。実際に彼らも自分の国にはもっと教育が必要だ、と考えています。この意識の輪がもっと広がらないかと、彼らと一緒になって学ぶことがprontoの活動だと言えます。私は国際事業部として、実際にカンボジアに行く海外事業部の手助けとなる活動を国内で行っています。

「将来のために今しか出来ない事がしたい!」

 

と思っている方がいらっしゃるのでしたら是非prontoで一緒に学びましょう。

 

教育が必要なのはむしろ我々かもしれません。


それでも海外の事なんて興味無い、という方は少しでも日本の外は今どうなっているかをご自分で学ばれることをお勧めします。それでも興味は沸かない、という人はいないと思います。もし興味を少しでも持ったらprontoに見学でも来てください。私と同じように国際協力に大した関心が無くてもいい刺激が有る事をお約束します。

駄文で大変申し訳ありません。
読んでいただけて光栄です。ありがとうございました。

 

                              

             

                                    2013/11/12 Kentaro Sato    

 

10/10     【どんな思いで活動してるの?】

 

 

 

皆様はじめまして。

代表の金久保です。

 

今月から月2でゆるーく普段メンバーが考えている事を綴っていこうと思います。

 

今回はprontoがどんな事を考えていてどんな目標に向かって活動しているのかをご紹介しようかなと思います。

 

 

 

 

 

①はじめに〜私達のvision〜

 

「全ての子供達が教育を受けられる世界」

 

これがprontoの掲げているvisionです。

現在は日本人メンバー5人とカンボジア人メンバー5人で活動しています。

 

互いに育った環境が全く違う日本人メンバーとカンボジア人メンバー。その両者が互いに違う価値観をぶつけながら「カンボジア」という国で「子供達に教育を受けてもらいたい」という理想を胸に活動しています。

 

 

 

 

 

②なんで教育が大切なの?

 

missionの説明に入る前に、そもそもなぜ教育が大切なのか?について私なりの考えを綴ってみようかなと思います。

 

「経済的に豊かになる」ためには競争で勝ち残らなければ成りません。

基本的な読み書き計算が出来ず、最低限の思考力を持たなければ他の人より「経済的に豊かになる」事は難しいです。(全ての人が「経済的に豊かになりたいか」という事は別にして)

 

仮に経済的に豊かに成りたくない人がいたとしたら、それはそれで良い。

「経済的に豊かになれ」と強制するつもりは無いし、それを悲観的な目で見る事もしない。

その人達は「経済的に豊かになりたくない」という選択をした訳ですから、それを否定する事は誰にも出来ない。

 

しかし、先進国を始めとした「教育を受ける事が当たり前」となっている国が存在する中で、

教育を受けないと、「今の自分たちの生活」を維持する事が難しくなる可能性が高いです。

そして、もし人が「経済的に豊かになりたい」と思った時、それに向けて努力する権利はある。

 

教育を受ける事はその「権利」を守る事であり、「今の自分の生活」を守る事でもあると思います。

 

「教育は権利」

…これは国際的にも認められており、1966年に開催された国連総会にて「経済的社会的文化的権利に関する国際規約」が規定されました。その中の第13条に「教育に関する権利」が含まれています。1990年にはタイのジョムティエンにて「万人の為の教育世界会議」が開かれ、Education for all が唱えられました。

 

 

上記の事をふまえ、私は「教育は大事である」「出来る事なら全ての子供達に教育を受けてもらいたい」と考えております。

 

 

 

 

 

③どうすればvisionを達成できるの?〜mission〜

 

とはいいつつ、現状、世界には教育を受けられない子供は沢山います。

東南アジアに限定して言うのであれば多くの子供たちは小学校に「就学」する事が出来ます。

しかし、それに伴い、約半数の子が初等教育終了前後で退学してしまいます。

 

日本にて「教育に関する開発」といえば「学校建設」というワードをイメージされる方が多いかもしれませんが、子供たちが「教育」を受けられる世界を作る為にはそれだけでは事足りないと感じます。

ですので私達が掲げているmissionは以下の3点を支援地にて達成する事です。

 

⑴子供達(家庭)の環境

⑵教師の環境

⑶校舎

 

 

 

 

 

④学生である私達には何が出来る?

 

私達は学生です。専門的な知識がない。経験が無い。など、活動を行うにあたって多くの弊害があります。

しかし、学生だからこそ出来る活動もある。

 

日本人メンバーと日本語を話すカンボジア人メンバーをみて、支援地の大人達が何を思うのか。

自分の子供より少し年上の、もしくは同い年くらいの若者が、異国の学生と異国の言語で、時には真面目に議論し、時には楽しそうに話している。

そんな姿を見て「自分の子供もあんな若者になってほしい」そう思う支援地の人は多いのではないでしょうか?

 

もちろん、人それぞれではありますが。

 

 

実際、2013年夏の渡航でもその様に言われる事が多々ありました。

 

子供達にとってもそうです。少し年上、同い年くらいの若者が大学の勉強の話、大学生活の話をしている。

 

そして、その若者達が、「自分の国を良くするため」に首都から遠くはなれた水も電気もガスも無い村に長期間滞在し、日本人と毎晩真面目にmtgをしている。

 

ここで言いたいのは支援地の大人達にとって「自分の子と同世代の若者」。子供達に取って「自分と同世代の若者」。が、自分の国を良くしたい一心で活動している事にとても意味があるという事です。

 

 

 

 

 

今回は4つに分けて色々と書いてみました。

メンバー絶賛大募集中なのでご興味持って下さった方は是非contactをクリック!

 

だいぶ長くなりましたが、今回はこの辺で。それでは。

 

 

 

                                2013/10/10    Tomoya Kanakubo

                 

 

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